Day 1
12:00
ビー玉ビーチに到着
少し西風が吹いていて、寒い日だった。
お昼ということもあり、お腹が空いていたので
春夏冬(あきない)
近くの『春夏冬』という御食事処に入ってみた。
雰囲気のこじんまりとしたお店。
どうやら、おばちゃんが1人でやっているお店みたいだ。
メニューも少なく、わかりやすい。
私の大好きなオムライスがあったので頼んでみた。
香ばしい香と、卵のいい香り。
ペロリと食べてしまった。おいしかった〜。
スタート前に、しっかりエネルギーを補給するができた。
お会計を済ましてから、おばちゃんに話しかけてみた。
私 「おばちゃん、車を5日間くらい止めるんやけど、駐車場はあそこでいいかね?」
おばちゃん「おお、ええと思うよ。みんな停めちょる。」
私「これから、カヤックで周防大島を一周するんですよ。帰ったらまた寄りますね。」
おばちゃん「カヤックって言ったら、村田くんの友達か?」
私「その村田さんを知ってますが電話で話したことがあるくらいですよ」
すると、瀬戸内パドリングの村田さんとの出会いの話や、お客さんを紹介してくれる話などを聞かせてくれた。瀬戸内パドリングの人柄を聞くと会いたくなってきた。海の上で会えたら、この話をしてみようと思う。
準備もあるので、おばちゃんとお別れをしてビー玉ビーチへ向かった。
カヤックを運んで、荷物を運んでカヤックに詰めていく。
この時、徐々に風が強くるの感じていた。
荷物を積み終わった頃、浜を掃除するおじさんと目があった。
おじさん「おうっ!」
私「こんにちは!おじさんすごいですね。牡蠣のパイプばかり大変ですよね」
おじさん「このマジックハンドがあったら大丈夫よ」
とパイプを掴む道具を見せてくれた。浜を継続して掃除されていることががわかる道具だった。おじさんは周防大島のいろんな浜で牡蠣のパイプを拾って掃除しているそうだ。
ゴミを拾い終わって、タバコを姿はカッコ良かった。少し、おじさんとゴミについて話をした。
ビー玉ビーチをスタート 13:45 西風5〜8m/s
風が強いことはわかっていた。ルートをくの字になるように目指せば辿り着けると判断して、ビー玉ビーチを出た。時刻は13:45 前島まで約7km。
スタートして、1.5km程した地点で沖の海上の様子が白波で風速も7m/s以上は吹いていることが目視でわかった。進行方向に対して左から波風を受ける事になる。潮流も左から右に流れていた。満潮が15:21なので潮流もまだ続く。引き返した方がいいのか、進んでも大丈夫なのか、少し考えた。
波風を斜めに進み、まずを前島の左に見える福島を目指すことにした。大型船が来ていない事、フェリーの往来が無い時間であること確認し、再スタート。
波風の力で進路を変えられながらも、福島に進路を修正し順調に進む。
波の間をジャンプするブリに出会う。荒れた海の中、活き活きとジャンプするブリに興奮しながら漕ぎすすめる。後に、ブリではなくヒラマサだということを知る。
波風に苦戦する
福島が、はっきり見えて来た頃に進路を前島の最南端に変えた。
ここからは、波風を利用しながら前島へ進む。波に押してもらいながら進むのは、宮島でフェリーの引き波を使って練習をしただけ。遥かに波のエネルギーが違う。うまく進むことができない。すぐにカヤックが回ってしまう。しかし、YouTubeで見た海外の動画を思い出し、こんな動きしてたなあと思い出しながら、色々試していく中で段々とカヤックのコントロールが出来るようになっていった。
前島の最南端に着くと波風の影響を受けなくなり風裏に入った。
穏やかな海、そして花崗岩と木々、宮島に似た景色に緊張は溶けホッとした。
そして、島に残る紅葉の美しさに癒された。落葉樹の割合の多さに宮島との違いを感じた。すでに葉が落ちた木もあり紅葉シーズンに来ればもっと綺麗なんだと思うとまた来たいと思った。
前島到着
紅葉を眺めながら北へ進むと堤防が見え、前島の東部の港に着いた。
港を奥へ進み上陸できる場所を探した。奥へ進むとスロープがあり、他に上がれそうな場所はなくスロープに静かにカヤックを付けた。
とりあえず、上陸し、カヤックを固定して、濡れた服を脱いで木に掛けて干した。
服を着替え、島民の方に挨拶に向かった。
島の中から『トントン、カンカン。』と聞こえてくるので音の鳴る方へ向かってみた。
その途中、民家があったので戸を開けて「こんにちは〜」と尋ねてみた。
すると、おばちゃんが出てきてくれて
島人 1人目
おばちゃん 「はいはい、こんにちは。どちらさん?」
私 「今シーカヤックで周防大島を巡っていて、風が強いんであの港に入らせてもらました。港にカヤック停めても大丈夫ですかね?あと今日テントを張って泊まりたいんですが港の端でテント張っていいですか?』
おばちゃん 「誰も使っていないから大丈夫よ。綺麗に使ってね」
私 「何か迷惑なことがあれば言ってくださいね」
と挨拶を済ませてトンカン音のする方へ。
すると、今度はおじさんがいた。
島人 2人目
おじさんにも挨拶をして、一晩港でテントを張ること伝えた。
すると、おじさんが
おじさん 「なら、桟橋近くのライトの下がいいぞ!ライトが一つだけ着くはずじゃ。平じゃしな」
と場所まで教えてくれた。
港に戻って、テントを張ることにした。ライトの下は平らで芝地。ペグも打てるので安心してテントを張ることができた。
おじさんとの会話には続きがある。
おじさんが教えてくれたのは、おじさんが若い頃の前島の様子。
それは宮島とも関係があった。
前島には砲台や、兵舎が山の上にあったそうだ。水源地があり山上まで汲み上げていた。今は、道が整備されておらず行くことはできないがおじさんの子供の頃は遊び場だった。修兵と島民で600人住んでいた。家も64軒。今では5軒。おじさんはしょうがない事だけど寂しいと話していた。
さらに、若い頃は夏になると宮島にみんなで行っていと話す。それは『管絃祭』である。
2、3日宮島に泊まって、遊ぶんが楽しみだったと話してくれた。
島の風景撮影
テントを張った後は、カメラを持って前島の風景を撮りに行った。前島の西部に行くと風は強くていた。小さな港に船が停まる風景、蛸壺が並ぶ風景どれも私には素敵な風景に見えた。東部の港も高台から眺める光景は素敵だった。波風のない海に浮かぶ小さな桟橋。心穏やかになる島の風景だ。
アジを釣る
夜は、港の釣りに行くことにした。メバルやカサゴが釣れたらいいなと小さなルアー竿を持って来ていた。堤防の先でルアーを投げると直ぐに来たのはカサゴ。小さいのでリリース。その後カサゴ、メバルと釣れたが小さいのでリリース。そして巻き方を変えるとアジが釣れた。初めてルアーでアジを釣った私は寒さを忘れ、ルアーを投げ続けた。そしてアジがもう1匹。テントに戻り炒めて食べることにした。
オリーブオイルと、塩胡椒で味付けして感謝しながら食べた。
この日は、アジを食べながら、うとうと、、、
この日はいつの間にか寝てしまった。
13日 前島東部〜浮島9km〜柱島11km〜松ヶ鼻8km
出発の朝
朝、鳥の鳴き声で目が覚める。夜は風も当たらず、島に風が当たる音だけがしていた。
直ぐに暖かいコーヒーとグラノーラで軽めの朝食。
カメラを持って朝の散歩に行った。
するとタイミング良く昨日のおばちゃんと会い
おばちゃんが「おはよう!天気いいね。出発できそうやね。」と挨拶してくれた。
私「そうですね。出発できそうです。ゆっくり準備します」返事をした。
島の中を散歩してから、荷物をまとめ、カヤックに詰め込んだ。
出発する前に、おばちゃんにお礼を言いに行った。
玄関を開けて、「おはようございます』っと挨拶をした
家の中では、ゴトゴト何やら音はするが反応はない。何度も呼んでみた。すると2階から布団を下ろすおばちゃん。
おばちゃんは笑顔で「まだおったか。もう出発したかと思ったよ。」というと家から出て来てくれた。
おばちゃん 「朝、船を見に行ったけど見つからんかった。テントも無かったし。」
ちょうど、荷物を積んでいる時に見に来たのだろう。おばちゃんは桟橋にカヤックを停めている思ったらしい。カヤックは港の端っこに停めていたので気づかなかったのだろう。
私 「そうなんですね。ウロウロしてました笑」
おばちゃん 「船見せてよ!」
と、おばちゃんは港まで見送りに来てくれた。
おばちゃんはカヤックをコンコンと叩いてみたりして、
おばちゃん「こんな船で漕いで来たんじゃね。気をつけて行きなよ。」
私 「これから風に吹かれながら浮島へ向かいます。無事渡れるように気を付けます。」
おばちゃん 「荷物はあれ(カヤック)に入っとんか?」
私 「そうですね。前後に荷物を入れる場所があるんですよ。シートの後ろや、足を置く場所の前にも。」
おばちゃん 「は〜すごいね!はははは笑笑」
まだ準備があったので、おばちゃんに「ありがとう」と感謝を伝えさよならをした。
浮島へ向けて出発
装備を確認してam9:30に港を出発した。
港を出て、浮島を目視した。
漕ぎ進めると少し波はあったが後ろからくる波と風。浮島へ向けて力を貸してくれた。
浮島は頭島と橋で繋がっている。その橋を目指して浮島の北側を目指した。青空も見え、遠おくまで島々を見ることができた。左側には大黒神島や、宮島が見えた。美しい景色を見ながら約1時間半で浮島に着いた。
浮島で少休憩
砂浜があったので上陸し、パンとコーヒーで休憩。カメラを持って浮島を散歩した。港にはたくさんの船が停まっていた。民宿や加工場があった。猫が数匹遊んでいた。みんなのびのびとリラックスしていた。
休憩していると、風向きが北寄りに変わってきた。
浮島から柱島へ出発
橋をくぐり、島の東部に出ると北から風が吹いてきた。
進行方向やや左から吹いてくる風。波風に向かって漕ぎ進めるので方向を整えることが少ないのでストレスは少なかった(カヤックは漕いでいると風が吹いてくる方向に向く乗り物)大きな波を乗り越えるのはとても楽しい。もっと大きな波が来ないかなって思いながら漕いでいた。柱島の北側を目指して進み、柱島に近づいたら柱島の最南端へ進路を向ける。柱島の最南端には戦艦 陸奥慰霊碑がある。
おじいちゃんとの話
数年前からおじいちゃんが私に『周防大島の東に戦艦 陸奥慰霊碑や記念館がある。行って見てきてくれんか?」と話すようになった。おじいちゃんは歳を取り足が自由に動かなくなってきたこともあり、遠出がもうできないことを知っていた。そこで私に代わりに行って来て欲しいと話すようになった。
そこで、戦艦 陸奥慰霊碑へカヤックで行くことを決めた。そして戦艦 陸奥が沈んだ場所を漕ぐことにした。
今回の旅の目的地の一つ 柱島の最南端 戦艦 陸奥慰霊碑を目指す。
なかなか、向かい風の中漕ぐの大変で進まない。漕ぐ手を止めず、前へ前へ。
柱島の紅葉する綺麗な木々が見えてきた。風裏に入り波風が弱くなってきたところで進路を島の最南端へ向けた。そこには綺麗な砂浜があった。紅葉した木々と白い砂浜、そして青い空。思わずシャッターを押した。太陽に照らされ浅瀬はエメラルドグリーンに輝く。上陸し慰霊碑へ。おじいちゃんを連れてきてあげたかった。入院しているおじいちゃんがゆっくり眺めれるようにたくさん写真を撮った。そして慰霊碑に手を合わせ頭を下げた。戦地に行くこともできず、家族のもとに帰る事もできなかった多くの魂が眠る海域。彼らのことを思いながら柱島から松ヶ鼻を目指す。
柱島から松ヶ鼻
慰霊碑のある浜から、1.5kmは凪の海だった。少しづつ北風が吹き波風が松ヶ鼻まで運んでくれた。途中、小さな島にはミサゴがいて大きな魚を捕まえていた。ミサゴは何故か惹かれる。美しくカッコいい。
16:00松ケ鼻に到着。
上陸し、近くに港があったので船で作業していたおじさんに、テントを張って良い場所を尋ねてみた。小さな砂浜の山から離れた場所を指定してくれた。おじさんになぜこの場所を進めてくれたのかを聞くと
おじさん 「最近、イノシシが毎晩出るんじゃ。できるだけ山から離れた方が良かろう」
と話してくれた。
イノシシがテント近くを歩いたら確かに怖い。
おじさん 「あんたどっから来たん?」
私 「宮島です。ビー玉ビーチまでは車ですよ」
おじさん 「びっくりした。宮島から漕いで来たんかと思った。宮島もイノシシ出るか?」
私 「ここと一緒ですよ。あちこち掘り返してますよ」
おじさん 「やっぱりな。。。お前これ何かわかるか?」
と、コンクリート上に敷き詰められた黒いジュータンのようなものを指差した。
私 「ひじき?」
おじさん 「そうや。12月に解禁になってみんなとりよんじゃ」
おじさんは、乾燥ひじきの作り方を詳しく教えてくれた。
そのうち、風が強くなりおじさんは寒くなったと帰って行った。
日も暮れ始め、急いでテントを張ることにした。
強風の時のテント設営
強風の中、テントを張るのは初めてだった。YouTube先生から学んだように
ガイロープをカヤックに結び。四隅をペグダウン。あとはいつも通りだ。
テント内の寝床が風下になるようにして、グランドシートを使って風が入ってくる風上の隙間を埋めていく。ドライバックや荷物を重しにしてグランドシートを固定。その他は、丸太で埋めた。テント内に風が入らなければ寒くはない。
食事
まずは鍋にお湯を沸かして、沸いたお湯をサーモスの水筒へ。いつでも直ぐに暖かい物が飲めるように。またお湯を沸かしてパスタを茹でる。器はシェラカップなのでパスタを半分に折って湯がいた。湯がいては食べて、湯がいては食べての繰り返し。腹一杯になるまで食べ続けた。余った茹で汁は、体を温めるためにコンポタージュやコーヒーに使った。
しっかり体があったまったら釣りに出かけたが、小さなカサゴ1匹。テントに戻り暖かいコーヒーをもう一杯。
この日を日記を書きながら、少し寝てam1:30にセットしていたアラームで起きた。
双子座流星群
14日am1:30 夜空を見上げると彼方此方で流れ星を見ることができた。
次から次へと流れつ星。ついつい長くテントの外で過ごしてしまった。
テントに戻って、暖かい抹茶オーレを飲んでシュラフに潜り込む。
14日 松ヶ鼻から船越へ30km
まだ、外は暗い
しかし、何か物音がする猪か。
そっと外を見ると、釣り道具をもったおじさんが場所取りのために道具を運んでいた。
今日は、ずっと向かい風。少しでも早くスタートがしたい。早めに片付けを始めた。荷物をまとめてカヤックに詰め込む。あとはドライスーツを着て準備するだけの状態にした。まだ太陽が登っていなかったので釣りをしているおじさんに話しかけてみた。
私 「何狙いですか?」
おじさん 「ウマズラハギじゃ」
と言うと、仕掛けを見せてくれた。サビキのようにアミを入れる籠が付いていて数本の針。その仕掛けはおじさん手作りだという。ウマズラハギを掛ける秘密がその仕掛けにはあった。どんな仕掛けは内緒。おじさんの仕掛けの解説を聞いて。
私 「は〜なるほど。確かに。おじさんすごいね!」
おじさんは楽しそうに話してくれた。
おじさん 「太陽が出ないと口を使わんのんじゃ」
私 「そうなんですね」
太陽が出るまで、ウマズラハギの寄せ方の話を聞いた。
こういう話って楽しいですよね。
太陽が登ったので、私も準備をしてスタート。am8:20出発。
すると、おじさんが私のことを呼ぶので見てみると、手には大きなウマズラハギ!おじさんが言う通り、太陽が登ったらウマズラハギはおじさんの仕掛けに口を使った。
おじさんに手を振り情島を目指す。
保木鼻までは引き潮のため進行方向とは潮の流れは逆。
保木鼻から潮流の向きが変わり流れに乗って進むことが出来た。
馬ヶ原集落
紅葉が綺麗な小さな山があった。あまりにも綺麗だったので、休憩を兼ねて集落に上がることにした。ミカン畑もありミカンが手に入らないかと期待して上陸した。
そこには、細い路地、みかん籠を洗うおばあちゃん、家を守る石垣、昔ながらの生活を垣間見ることができた。籠を洗っていたおばちゃんに声をかけてみた。
私 「こんにちは。このあたりでミカン買える場所ありますか?」
おばちゃん 「ここは出荷だけじゃなあ」
私 「そうなんですね。海からあの山の紅葉があまりにも綺麗で
写真が撮りたくなって寄って見たんですよ。そしたらミカ
ン畑もあるしミカンを買う場所もあるかと思いました」
おばちゃん 「ミカンの出荷ももう終わりじゃ。私らもあの山の紅葉が綺麗
なことに昨日気が付いたんよ。ミカンが忙しくて山を見てな
かったんよ。ははははは笑」
私 「そんなに忙しかったんですね。この島は紅葉が綺麗ですよ。宮島から
来たんですが、海から紅葉を楽しめる場所はないですよ。」
そんな会話をしながら、集落を散歩した。素敵な風景に出会えた集落だった。
大鼻を越え、笹島を目標にして進む。
笹島に近づくと周防大島にある厳島神社が見えて来た。
海上安全を祈願しに行くことにした。
松ケ鼻から牛ケ首と呼ばれる所までは海は穏やかだった。
牛ヶ首を越えると西風と潮流の影響を受け波風が強くなった。
沖家室大橋に近づくに連れ、波風、流れは強くなっていく。
手を止めたら、すぐに流されてしまう。リズム良く漕ぎ進めた。
橋の手前のエディーで少し休んで、一気に橋をこえた。手を休めれば流されてしまうので漕ぎ続けた。風がさらに強くなり、力を込めて漕ぎ続けなければ前に進むことができない状況だった。明らかに進むスピードは遅くなったが、少しづつではあるが前進している。
目の前に、伊崎山が見える。この山が止めてくれている風もあるはず。この山の向こうはどんな状況なんだろうと思いながら、前進した。
やっと立島が見え始めた頃、さらに風が強くなってきた。もちろん波も高くなりこれ以上進むことは時刻的にもリスクがあると思い、立島の風裏で休憩し、船越を目指すことにした。
立島から北へ漕ぎ進め、良きタイミングで船越へ進路を変えた。
波風を利用して、船越まで辿り着いた。
船越
消波ブロックの向こうに小さな砂浜があった。
砂浜に上陸すると小さな鳥居が目に入った。
恵比寿社の鳥居。
港に並ぶ漁船の風景はやっぱり美しい。たくさんの細い路地があった。
敷地の中に井戸があったり、家とお風呂が離れていたり、古民家が残る集落だった。
集落を散歩しながら撮影していると、おじさんが話しかけてくれたり、自販機でジュースを買っているとおばちゃんが誰かと間違えて話しかけてくれたり
おばちゃんと世間話をしていると
おばちゃん「どんどん人が減っていくよ」って話していた。
空き家も多いらしい。
日没の時間が近づいてきた。
おばちゃんと別れ、路地を撮って浜へ帰ろうとした時、路地の先が太陽が沈む位置になった。とても綺麗な風景だった。
路地を抜けると、空がオレンジ色に輝き始めていた。
浜に戻って、テントを張っていると近くの民家に人が帰ってきた。
テント泊することをお伝えして、何か迷惑を描けるようなことがあったら言ってくださいと挨拶をした。
挨拶する人みんな、優しく
「風邪引くなよ」とか「自由にやりんさい」とか、「困ったことあった言いにおいで」とか寒い夜になるから心配してくれた。感謝。感謝。
この夜も風が強く吹く予報。
風上にカヤックを置いて、ガイロープかけてテントが飛ばされないようにした。
16日、17日が天候が大きく崩れる予報だった。翌日の15日と18日を使ってゴールするか?明日15日で一気に漕いでゴールするか?しかし、波風が強かったら15日だけじゃゴールは難しい。テントの中で、色々なパターンを想定して計画を立ててみた。
15日の問題は大鼻瀬戸を通過するタイミングだった。大橋の橋脚はブロックでは無く、多くの支柱で出来ている。流されて支柱の隙間に吸い込まれたら脱出はできない。カヤックは簡単に割れて、人は支柱に張り付いてしまう。つまり死ぬ。
潮流がまだ弱いうちに、最も右側の橋脚にそって流れていくのが理想。
干潮が12時。14時を超えると危険になってくる。
それまでに間に合うのか。
15日の天気は風速は3m/s、それ以上になると間に合わなくなる可能性がある。
15日、天候が良ければ一気にゴールを目指すことに決め就寝。
15日の朝
コーヒーとグラノーラで朝食を済まして、すぐに荷物をまとめてカヤックに詰め込んだ。
am8:10にスタート。
立岩、厳岩が見たく行ってみた。
安下崎に向けて漕いだ。
船越〜安下崎〜井出地区〜法師崎〜彦島〜日見崎〜津長鼻〜大橋〜田ノ尻鼻〜ビー玉ビーチ
井出地区
少し、休憩するために法師崎手前の集落に上がることにした。古民家が残る小さな集落だった。各家の前には石垣があり堤防がない頃、高波から家を守る物だったのだろう。お散歩されていたおじいちゃんに話を聞いてみた。
私 「おじいちゃん、この石垣は高波から家を守るため?」
おじいちゃん「そうじゃ。台風で何度も家も石垣も流されたよ」
と、話をしてくれた。さらに
おじいちゃん 「流された石を拾って、また石垣を作って、家を立てるんじゃ」
危険な場所だから、住む場所を変えるのではなく、同じ場所に同じように家を建てる。
そこには、その場所じゃないとダメな理由があるのだと思った。
また、その地区を訪ねて話を聞いて見たいと思った。
路地に入ってみた。猫がのんびりと過ごしていた。気持ちよさそうなので撮影していると奥からおばあちゃんが歩いてきた。
おばあちゃんとの会話では、ミカン農家が減った話、住む人も減った話を聞いた。
井出地区は心落ち着く場所だった。また来たいと思った。
井出地区を出発して法師崎を越えると彦島が見えた。以前、SUP大島さんを尋ねた時に陸から見て気になっていた。小さな可愛らしい島。次は彦島に上陸しようと決めてリズムよく漕ぎ進めた。両サイドに陸地が見えゴールが近づいて来ていることを感じる。
風速2m/sくらいだろうか、心地の良い風が吹く。天気も良く順調に漕ぎ進めている。
彦島上陸
干潮時ということもあり、彦島には上陸しやすそうな浜があった。彦島に近づくと透明度が高いので海底がハッキリと見えて、たくさんのナマコを見ることが出来た。そして上陸して一息ついた。
大鼻瀬戸
これから向かう大鼻瀬戸は日本三大潮流の一つに数えられるほどの大きなエネルギーを持った潮流になる。
できるだけ、流れの弱いうちに通過したい。彦島からもリズムよく漕ぎ進め大橋の1km手前で休憩し、往来する船の様子をみる。休憩していてもカヤックは大橋に流されて行くのを感じる。
大橋の最も右側の橋脚を目指して進んで行く。もし左の橋脚に近づいたら事故に繋がる可能性がある。
まだ潮流が緩やかな時間に大橋に到着できたので予定通り、想定通りに大橋を通過することが出来た。
大多満根神社
しかし、通過してすぐの大多満根神社の撮影をしていると潮流が早っくなって行くのがわかった。30分遅ければ通過を諦めていたかもしれない。
そして大きな船も頻繁に通過する。本流に流されないように岸から離れないようにビー玉ビーチを目指す。
この頃から、本当にこの旅が終わるんだと実感し始めた。3泊4日100km。
寂しさと、早く家族に会いたいと思う気持ち、頭の中で旅を振り返り、次回はどんな旅をしようかと妄想しながら進んでいくと、海面が凪になり始めた。
まるで、海がお疲れ様と言ってくれているようだった。初日から、強い波風、そして潮流を味わい、楽ではないスタート。二日目も三日目も、そして最終日。天気は晴れ風は弱く快調に漕ぎ進めることが出来た。
ビー玉ビーチが見えた頃、海面は下手なぎになった。
美しい瀬戸内の多島美の姿を見ることが出来た。
カメラを握り、撮影タイムに入った。
いろいろな景色を見せてくれる自然。だからやめられない。
ゴール
ビー玉ビーチに静かに着岸。安心するとお腹が減ってきた。早く冬春夏(あきない)のオムライスが食べたくなった。荷物を運んで、カヤックを運んで、車に積むだけの状態に急いで準備した。
あとは、オムライスを食べてかれとルンルンで冬春夏(あきない)へ。
しかし、お店は休み。ショックを受けているとたまたまおばちゃんが出てきた。
無事にゴールしたことを伝えると
おばちゃん 「お〜帰ってきたか。あんたが帰ってからどんどん風が強くなってきて心配してたんよ」
私 「なんとか前島に渡って、楽しく一周して来たよ!今日は休みなんやね」
おばちゃんに今度は家族で食べに来ると伝えて、さよならをした。
そこで、旅がほんとに終わったんだと感じた。
さて、次は気持ちを入れ替えて、家族に会いに宮島に進路を向けた。
暖かい家に帰ろう
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