​ミヤジマトンボ

ミヤジマトンボはシオカラトンボによく似た、体長5センチほどのトンボです。

神の島に生息する幻のトンボ ~ミヤジマトンボ~

“安芸の宮島”の愛称で親しまれ、多くの観光客や地元の篤い崇敬を集める広島県の宮島。
ミヤジマトンボの分布域は、世界で日本と香港の2ヶ所のみ。国内では、宮島だけに生息しています。
ミヤジマトンボは海水が流入し、ヒトモトススキが茂る潮汐湿地と呼ばれる、特殊な環境に生息しています。かつて、西日本の沿岸域に点在していたであろうこうした湿地は、近代以降の開発によって急速に失われていったと考えられます。
一方宮島は、自然崇拝の地、厳島神社の威光、国立公園への指定などの要因が重なり、一部沿岸部の開発を奇跡的に免れることができたため、それが幸いしてミヤジマトンボは生き残りました。
そして現在では島にあるいくつかの生息地を守りつつ、保護活動が続けられています。

本格的な保護活動の始まり

ミヤジマトンボの幼虫。人工飼育で生まれたものは、どうしても野生個体に比べて弱々しくなりますね、と坂本さん。

「2004年以前から保護活動は行われていました。しかしその年、広島を襲った台風の被害がひどすぎました。厳島神社の海上社殿が水没・破壊された、あの年の台風です」

2004年に猛威を振るった台風は、厳島神社のみならず、ミヤジマトンボの生息地にも壊滅的な打撃を与えました。

「ミヤジマトンボの生息地は、海砂が堆積して湿地が3分の2くらいに減り、ヒトモトススキも海砂に埋もれるほどひどいものでした」

これを見たとき坂本さんは、これまで以上に計画的、組織的にミヤジマトンボの保護活動を行う必要があると確信しました。そして2005年9月、広島県の協力もあって、有識者や関係行政機関を巻き込んで、ミヤジマトンボ保護管理連絡協議会が発足したのです。
協議会は、「生息地の良いところを良い状態のまま保つ」、「悪いところは良い環境になるよう整える」、「新たな生息地を作る」という3つの方針を掲げました。また、人工飼育技術の確立に取り組むものの、放流については慎重に進めることが決められました。
そしてこれ以降、ミヤジマトンボの本格的な科学的調査が開始されたのでした

「飼育技術はほぼ確立しつつあります。現在では広島市森林公園こんちゅう館と宮島水族館で人工飼育を行っています。ですがこれは、あくまで大型台風が生息地に壊滅的な被害を与えた際の保険です。つまり、生息地から完全にミヤジマトンボがいなくなる、あるいは危機的なレベルまで減少した場合には放流しますが、野生のトンボが十分に存在している場合は放流しないということです。ここにも、3つのポリシーの“良いところは良いままに”“悪いところは良くしよう”の方針が生きています」。

坂本さんたちの“トンボを守る”姿勢には、野生のトンボに対する敬意が感じられます。
では、新たな生息地はどうなのでしょう? 2008年のレポートでは、ちょうど新たな生息地候補を整備しようとされていました。

「新生息地の創出は、私たちも驚くほど順調に進みました。直近の既知生息地で発生した複数の個体が個体が、整備した新生息地に早々に飛来し、産卵をしたことが幼虫の発見によって確認できたのです」

新たな生息地を得たミヤジマトンボ。発生個体数の増加に期待がかかります。しかし坂本さんは、このことに喜んでばかりはいられません。

「近年は、イノシシの脅威が大きくなっているのです。数年前からはトンボの生息地に入り込み、湿地を踏み荒らしながらヒトモトススキを食害するようになりました。こうした行為は急激かつ激烈に進行し、多くの株が枯れてしまいました」

イノシシ除けにつくった柵。しかしこれらもメンテナンスし続ける必要があります。

イノシシは宮島にはかつていなかった、いわば“外来種”。

「戦後は記録が絶えていたイノイシシですが、おそらく200年代半ば頃に他の島から海を渡ってきたのでしょう。唯一の対抗策として、ミヤジマトンボ生息地の周囲に防獣柵を設置してきました。ところが、柵の接地面を掘って、生息地に侵入されたこともあります。また、一部の防獣柵とその支柱は鉄製なので、海水の塩分がそれらの劣化を早めるのは間違いないでしょう。樹脂製柵への置換やメンテナンスもやり続けなくてはなりません。そしてもうひとつ問題となっているのが、海砂の動きです」

“海砂”とは、文字どおり“海から堆積してくる砂”のことです。

「2000年代に入って瀬戸内海の海砂の動きが変化しています。しかもどう動くのか、ほとんど予測がつきません。海砂が堆積して生息地への海水の流路が遮断される事態が、頻繁かつ突発的に起こるようになっています。満潮時に流入し湿地にアオサが堆積すると、水底に貧酸素層ができ、ヤゴの呼吸障害となります。またアオサが腐敗すると、毒性のある硫化物質が生成されます。2004年以降、幸いにも大きな台風は広島に来ていませんが、近年増えているゲリラ豪雨にも備えておく必要があります」

次々と立ち現れる問題は、すべて自然相手のものばかり。しかし手をこまねいているとミヤジマトンボの保護は不可能で、「絶滅」の二文字が脳裏をよぎります。
まさに“想定外”のことばかりですが、協議会や廿日市市、広島県、環境省などの行政、宮島パークボランティア、民間企業も含め、関係者一同が知恵をしぼり、できる限りの対策を取り続けることが必要だと坂本さんは仰います。

保護活動には終わりもなく、深刻なことが多い状態ですが、もちろん良いことだってあります。
2007年、協議会発足後、初めてミヤジマトンボの個体群推定調査が実施されました。それ以降も科学的なデータ収集は続けられ、現在では日本で最も科学的データを蓄積した日本産トンボになっています。
また、嬉しいことに生息地が増え、イノシシの対抗策が功を奏したことで、確認できるミヤジマトンボの個体数もは減少することなく、安定しているとのこと。 人間の努力に応えてくれている。ミヤジマトンボに気持ちが通じたと思える瞬間があるからこそ、苦労があっても保護活動を続けていけるのではないでしょうか。

「いつかは生息地の公開を…」

ミヤジマトンボの生息地は、
非公開で保護活動が続けられています。

ミヤジマトンボは宮島に生息していますが、では宮島のどこに? というとそれは現在も非公開です。
国内では環境省のレッドデータで「絶滅危惧Ⅰ種」に、自然公園法では「指定動物」に、そして広島県条例では捕獲すれば罰則が適用される「特定野生生物種」に指定されています。

「宮島にしかいないミヤジマトンボが、これらの指定から外れることはありません。生息地は2012年にはラムサール条約で登録湿地に認定されました」


 

「宮島のミヤジマトンボと同種のトンボは香港にも生息しています。ミヤジマトンボは数百万年かけて中国南東部から沿岸域を北上し、7~6千年前に、瀬戸内ができたときから奇跡的に宮島に残った生物です。長い歴史の中で、ナウマンゾウや恐竜は絶滅したのに、どうしてミヤジマトンボは生き残っているのだろう? なぜこの地に辿りつくまでの真の物語は? そんなことを考えると、簡単にいなくなってよいとは決して思えません。
人間より遥かに長くここに存在するトンボとそれを取り巻く生態系を、人間が破壊してはならないと思います」

保護は永続的に。次世代の担い手を求めて ~啓蒙活動~

生息環境の劣化により絶滅に瀕した生物の保護は、短期間での復元は極めて困難なケースが多いため、継続してこそ意味があります。

​ミヤジマトンボ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1 「ミヤジマトンボ」とは?

 

 ミヤジマトンボは,世界にたった2ケ所,宮島(廿日市市宮島町)と香港にしか生息しない,非常に希少なトンボで,体調は5cmあまり。その姿はシオカラトンボに良く似ています。
 
 ミヤジマトンボは,広島県では,条例で緊急に保護を必要とする「特定野生生物種」に指定され,採集が禁止されており,環境省及び県のレッドデータでは,絶滅危惧I類に分類され,絶滅が心配される種の一つとなっています。

 また,自然公園法でも瀬戸内海国立公園の「指定動物」となっており,採集が禁止されています。

【参考】 絶滅危惧の選定カテゴリー及び保護に係る法整備状況

1 国際自然保護連合(IUSN)⇒絶滅危惧2類

2 環境省⇒絶滅危惧I類,国立・国定公園内の特別地区で捕獲を禁止する種(指定種)

3 広島県⇒絶滅危惧I類,広島県条例指定種(特定野生生物種)

2 「ミヤジマトンボ」の生息地

 ミヤジマトンボはヒトモトススキの生えた満潮時に海水が出入りする,※汽水域(きすいいき)の海浜湿地に生息しています。
 
 こうした環境は,江戸時代以降,多くが塩田や田畑として開発され,現在の瀬戸内海海域では宮島町以外ほとんど見当たりません。

 宮島が古くから「神の島」として崇められ,開発が禁止された結果,ミヤジマトンボが生息できる環境が残ったと考えられています。
 
※汽水域とは,河川・湖沼および沿海などの水域のうち,汽水が占める区域のこと。
 漢字の「汽」は「水気を帯びた」という意味を含蓄し,「汽水」は,淡水と海水が混在した状態の液体を指します。

3 「ミヤジマトンボ」の発見者 結城次郎

 ミヤジマトンボは1936年6月21日に,結城次郎(ゆうきじろう)氏によって発見されました。

 当時,広島山岳会という登山愛好家のクラブがあり,結城氏はその一員として宮島一周ハイキングに参加していました。

 その途中に採集したトンボが,ミヤジマトンボです。

 結城氏は,当時の広島工業学校(現在の県立広島工業高校)の数学の教師をしながら昆虫や,民俗学のアマチュア研究家として知られていました。

 「ミヤジマトンボ保護管理連絡協議会」が設立されるまで

1 協議会設立前の保護対策

 1995年に,学識経験者及び行政関係者からなる「ミヤジマトンボ保護管理対策検討会」が設置され,「ミヤジマトンボ保護管理計画」が策定されました。
 
 保護管理計画には,個体群の保護管理(採集規制,保護増殖),生息地環境の保全・整備,保護区のあり方,生息地の開発規制と普及・啓発に係る今後の方向性が取りまとめられています。

 ミヤジマトンボの保護については,1996年以降,保護管理計画に基づき,野生生物保護推進員(条例に基づき任命)による巡視活動や,県と広島虫の会など関係者の協力による生息環境整備活動などが実施されました。

2 生息環境の悪化

 巡視活動や保護活動の実施にもかかわらず,ミヤジマトンボの生息環境は徐々に環境の悪化が進んでいました。

  さらに,その環境悪化は,2004年ごろから急激に進み,『このままの状態が推移すると,近い将来,本当に絶滅してしまうのではないか。』と関係者の間で危惧されるようになりました。
 
 2005年1月,日本蜻蛉学会の鍵本氏が,ミヤジマトンボの生息地を調査し,廃船の放置からの油の流出や水路が砂で埋まり湿地の水が流出できないなど壊滅的な状況が確認されました。

 学会では,ミヤジマトンボの幼虫の生存が危機的な状況にあると判断され,県に報告がされ,県が調査に乗り出しました。

 県の関係者への聞き取り調査を行った結果,水路への砂の堆積は,2004年9月に来襲した台風に起因することが明らかとなり,廃船については2005年2月に海上保安庁により撤収が行われました。

 また,2005年7月にはミヤジマトンボが密猟され,個体数が激減する事件が発生し,新聞にも大きく掲載されました。

 このような状況を踏まえて,2005年9月日本蜻蛉学会会長から県宛に「ミヤジマトンボ生息環境改善要望書」が提出されました。

3 協議会の設立

  県では,ミヤジマトンボを保護するための検討が行われましたが,日本蜻蛉学学会の要望にある生息環境の改善については,生息地への車輌や大型船による到達が困難であり,環境改善を行うにも小型船で輸送可能な範囲の人力作業に頼らざるを得ないことから,抜本的な解決策を見出すことが出来ませんでした。
 
 そこで,まずは,専門家や保護活動家,関係行政機関が一同に介し,お互いに知恵を出し合い出来ることから始めていこうという判断のもとに,2005年9月,広島県を事務局とする「ミヤジマトンボ保護管理連絡協議会」が設立されました。

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店  名  MIYAJIMA SEAKAYAK(宮島シーカヤック)

集合場所  〒739-0588  広島県廿日市市宮島町​624

営業時間  8:00~17:00(不定休)

電話番号  070-7565-4932

メール   miyajima.seakayak.535@gmail.com